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―創始創業1666年―
「もてなしの心」を大切に、
時代とともに変化し続ける

清川屋の創業は天下泰平の元禄以前、
寛文6年(1666年)に茶屋勘右衛門と名乗ったことが始まりです。
創始創業以来350余年。それぞれの時代の流れに合わせて業種・業態の転換を行いながら「清川屋」を守り抜き、現在に至ります。
周囲の「和」によって支えられた清川屋の歴史“和の系譜”をご紹介します。


1886年(明治19年)ころ

旅籠屋を営んでいた時代の清川屋。建物の前には人力車が映っています。
当時の清川屋は、旅籠屋の傍ら人力車部門も経営しており、その「建て場」として引き子を10名ほど抱えて営業をしていました。人力車業は最盛期には鶴岡に5,6ヵ所の営業所を持つほど繁盛していたといいます。

1888年(明治21年)ころ

清川屋の前には内川が流れており、木橋が架けられていましたが、明治21年にアーチ式の石橋に架け替えられます。
オランダ人の設計で、アーチが三つ重なる姿から「眼鏡橋」と呼ばれ親しまれていました。

大正時代

大正時代に入り、道路拡幅問題が持ち上がり、所有していた土地の大半を失います。
それでもなんとか旅館営業を続けていましたが、大泉橋の架け替えと道路拡張工事が行われ、建物面積が半分に縮小されました。
左方の建物中央、3階建ての建物が当時の清川屋です。

1927年(昭和2年)ころ

大正末期に庄内地方にも鉄道が敷設され、鶴岡駅にも列車が往来するようになりました。それに伴い、鶴岡駅前周辺の整備が急速に進歩。昭和2年、鶴岡駅前東側に間借りをし、小間物屋を始めます。
写真右側の建物が現在のマリカ東館。その写真の切れ目に小さな軒をさし出しているのが清川屋です。再起したばかりの清川屋はわずか6坪の小さな店でしたが、昭和6年には向かいの店に移り、鶴岡で最初の総合物産店を開くまでに成長します。

1956年(昭和31年)

経済が復興し始めた昭和25年ころ、鶴岡市内のあちこちで新しい店づくりが始まり、蛍光灯を使った明るい店に客が集まるようになります。
まわりの繁昌ぶりにひきかえ、戦後不振が続いていた清川屋ですが、店舗設計の黒田坤一氏の助言のもと大改装を行い、店舗の近代化を計ることで、土産品専門店として進行していきます。

1956年(昭和31年)の店内

黒田氏による店の改装とともに、商品構成に対してもアドバイスを得て、清川屋は一新。
所狭しと並べられているのは、ざく菓子と民芸品。
店内は立体的な売場づくりがされています。

1956年(昭和31年)の店先

隙間なく商品が陳列され、迫力ある店先になりました。
この大改装をきっかけに、周囲の店との立場を逆転させるほどの驚異的な売上をあげます。
黒田店舗設計では業界誌に清川屋を紹介し、注目の繁盛店として掲載。物産店としての地位を固めていくこととなります。

1965年(昭和40年)

昭和40年6月25日に有限会社清川屋を設立。
鶴岡駅前の本店店舗を第二次拡張し、新装開店します。

1975年(昭和50年)ころ

外装を中心に第三次全面改装を終えた鶴岡本店。
鶴岡駅前再開発直前の店舗です。

1976年(昭和51年)ごろ

鶴岡駅前の再開発により、店舗が取り壊され、仮店舗での営業をはじめます。
プレハブ造りの店舗で、倉庫も含め約30坪に縮小されました。営業成績は期待できないと思われましたが、1日100万円売れることも。
当時の社員一同驚いたとともに、わざわざ足を運んでいただいたお客様には感謝感謝の毎日でした。

1984年(昭和59年)7月

庄内地方から唯一のテナントとして山形空港店ターミナルビルに出店。
これが清川屋第一号の支店となり、多店化のスタートとなります。
当時、庄内から山形までは車で約3時間。鶴岡の本店からは行ける人材がいない中、清川屋に縁のある親戚が力を発揮し、切り盛りをしてくれました。

1987年(昭和62年)7月

鶴岡市再開発ビル・マリカ西館に「鶴岡マリカ本店」として新装開店。おみやげ屋から、“心”を贈るギフト銘店として新たなスタートを切ります。
店内には当時では最新式のショーケース販売を実施するなど、業界においては画期的な販売で話題を呼びました。

1988年(昭和63年)

再開発ビルのオープンに伴い、清川屋の前身である勘右衛門の名をとり、マリカ本店に隣接したそば茶屋「勘右衛門」を開業します。
社長と社員が会津・桐屋さんで修業をし、山形産の本物志向のそばを提供するお店として人気を博していましたが、マリカ本店の店舗事業拡大に伴い、惜しまれながらも3年で閉店することとなりました。

1988年(昭和63年)7月

鶴岡市宝田に本社新社屋がようやく完成し竣工、営業を開始します。 新しい本社には、配送部門と事務部門、大会議室や研修室などが併設され、将来20店舗の管理運営をも見渡した新たな基盤整備であり、大きく前進した年でした。
平成2年には資本金を3,000万円に増資。同年8月に、会社組織を株式会社へ変更し、企業化を推し進めます。

1991年(平成3年)10月

“陸の孤島”であった庄内地方に待望の空港が開港。当社は地元を代表して、唯一、庄内空港ビルに出店を果たします。
また、当時は取得が大変であった酒類販売免許も、当時初孫の常務であった佐藤淳司東北銘醸社長のお力添えにより可能となりました。

1993年(平成5年)11月

山形市の山形駅ターミナルビルに出店。
山形市へ初めての出店であり、山形メトロプラザ店(現・山形S-PAL店)は、県内外の優れたテナントが競い合う状況の中、当社の新たなチャレンジが始まりました。

1994年(平成6年)

郊外型ショッピングセンターとしてオープンしたジャスコ酒田南店(現・イオン酒田南店)に出店。

2003年(平成15年)

酒田駅構内の改装のタイミングで酒田駅に出店。
お客様に快適に過ごしていただける店舗を目指し、パソコンスペースやコーヒーの飲めるお休み処、さらにはソファのある化粧室など、『旅人をもてなす』スペースを、すべて店内に作ったのです。
ただ特産品を販売するだけのお店ではなく、先祖代々の“おもてなしの心”を表現する空間づくりがこの時スタートしました。

2004年(平成16年)

清川屋初の独立店舗として、鶴岡インター店をオープン。鶴岡ICを降りると、白いギフトボックスのような凛とした姿を現す店舗は、『特産品文化ミュージアム』をコンセプトに掲げ、高級ブランド「エルメス」などを手掛けた水谷壮市先生が設計されました。
お客様にゆっくりくつろいでいただけるよう、景観重視の設計によるお休み処や、全国に先駆けて「お子様連れ専用駐車スペース」を設置しています。

2009年(平成21年)10月

清川屋の県外第一号店である仙台泉パークタウンTapio店。仙台の高級住宅地・仙台泉パークタウン内にあるタピオへの出店でした。
山形の特産品に特化してきた事業を仙台に持っていくべきか―社内で連日連夜の討論を重ね、新たに宮城の商品開発にも取り組み、宮城と山形両方の特産品を厳選する専門店として出発しました。

2015年(平成27年)4月

「まちなか観光物産拠点」を創造する“体験型おみやげ店”として、HOUSE清川屋がオープン。
庄内の食文化を体験できるキッチンスペース「厨~くりや~」を設置し、地元の農産物を使った郷土料理や伝統文化を体験できるイベントを開催。
また、鶴岡観光プラザを併設し、伝統工芸品の展示や観光案内も行っています。

2017年(平成29年)4月

山形市のヨークベニマル落合店に出店。
スーパーマーケットという特性を活かし、お客様との距離感が近い店作りにこだわり、“作り手の顔が見えるお店”を目指しました。
フランス語で「市場」という意味を持つ「マルシェ」をコンセプトに掲げ、木のぬくもり溢れる商品棚やモニュメントなど、自然との共生を目指した新型店です。

2020年(令和2年)

やまぎん県民ホール(山形県総合文化芸術館)に、世界各国の選べるトースターと王室や皇室御用達のマグカップを揃えた県産素材カフェ・県産素材ベーカリーと、35市町村の名品を取り揃えオール山形を体現した新型店舗「0035 BY KIYOKAWAYA」をオープンします。
また、山形県内52酒造16ワイナリーと山形ものづくりクラフトを融合したデザイナーズストアーを展開するプロジェクトを推進中で、本格的な新業態店を別棟として同敷地内に10月オープン予定です。